2019.2.12

うちの学部は国際関係学部。これまで入学してきた学生たちに志望理由を聞くと、海外で取材をしたい、国際協力をしたい、エアラインで働きたい、商社で働きたい・・・。ありきたりの発想とはいえ、海外に関連するあらゆる多様な選択肢を聞くことができた。…

Tsutomi Hiroshiさんの投稿 2019年2月10日日曜日

 

こういったことを教えてくれる教育者が身近にいることは、とても幸せなことだと思います。少なくとも、ぼくはこういったことを、教育者からは教わっていない(教えてくれていたかもしれないけど、ごめんなさい、覚えていない)。

大人になって、仕事をして、お金を稼ぐことは、自らの道具としての機能を活かしたり、磨くことだと思った。他の人に、道具としての機能を提供してもらうこともある。道具としての自分を磨くのは、必要なことだ。

ただし、人を道具として「だけ」見た瞬間に、人は誰かや社会の部品と化してしまい、自分自身や、他人の痛みに気付かない人間に変わってしまう。そう言う人間は、世の中にたくさんいる。

 

あまりにも極論だけど、こういう文章もある。「凡庸な悪」というのは、ハンナ・アーレントの言葉だ。

 

「そのためだったら、子供だって殺してみせる、か」
ぼくはジョン・ポールを見つめた。皮肉だ。この男がはじめてぼくに示した、感情のような反応だ。それは敵意であるのだが、ぼくは怒りを覚えるとともに、心のどこかでほっとしてもいた。
「つらいが仕方ない。仕事だからな」
ぼくはできるだけつまらない答を返したつもりだったが、それを聞いたジョン・ポールは愉快そうに笑い、
「つらい、なんて嘘だろう。知ってるよ、きみらは作戦前に感情を戦闘用に調整するだろうう。子供を殺すことを躊躇わず、殺した後は傷つかないように。引き金を引くその瞬間には、どんな罪悪感だって感じちゃいないさ。違うかな」
ぼくは黙って聞いていた。
「仕事だから。十九世紀の夜明けからこのかた、仕事だから仕方がないという言葉が虫も殺さぬ凡庸な人間たちから、どれだけの残虐さを引き出すことに成功したか、きみは知っているのかね。仕事だから、ナチはユダヤ人をガス室に送れた。仕事だから、東ドイツの国境警備隊は西への脱走者を射殺することができた。仕事だから、仕事だから。兵士や親衛隊である必要はない。すべての仕事は、人間の良心を麻痺させるために存在するんだよ。資本主義を生み出したのは、仕事に打ち込み貯蓄を良しとするプロテスタンティズムだ。つまり、仕事とは宗教なのだよ。」

伊藤計劃「虐殺器官」

 

話を戻すと。自分を手放してまで、人生を生きることは、どんな人にとっても辛いことだと思う。「人の役に立たなくてはいけない」という言葉は、呪いでもある。

冒頭の投稿で津富さんが言っているような個人の自由が前提にないと、民主制がただの「良さそうな答えを探す仕組み」になってしまい、お世間様が神様よりも強い日本社会ではたちまち、個々の人間の都合よりも社会全体を重視した答えが優先される。そうなると、天地が逆転するように価値観が転覆して、個人は社会(もしくは、組織、会社、地域、家族、と言い換えてもいい)という「全体」を構成する部品にしかすぎない、という「全体主義」に陥ってしまう。

そもそも、デモクラシー(democracy)というのは、単なる制度でしかなくて、「民主主義」という言葉は誤訳でもある。

日本ではこのデモクラシーを民主主義と訳しているが、「主義」は本来「イズム(ism)」でなければならない。もしデモクライズムあるいはデモクラティズムならば民主主義となるが、デモクラシーは民主政治、あるいは民主制、民主政治制度とすべきである。この「制度」とすべきものを「主義」と誤訳してしまったところに戦後の日本のデモクラシーの大きな落とし穴があるように思うのである。

引用元:http://www.geocities.jp/clinicalpolitics/html/democracy1.html

制度でしかないものを主義、つまり哲学と勘違いして(もしくは社会統治の邪魔だと判断して)、マヌケな顔してありがたがった結果、社会の仕組みに「個人の自由」という魂が入らなかった。戦後の日本社会が直面している様々な課題の大元は、戦後の日本社会のこの部分が原因だと思っている。

自分たちはやれる範囲で、やれることをやるしかないのだけど、こういう根本のところを認識しておくのは大事な気がします。

 

 

もう一度、この曲を聴かなくては。

いつの間にか私が 私でないような
枯葉が風に舞うように 小舟が漂うように
私がもう一度 私になるために
育ててくれた世界に 別れを告げて旅立つ

岡林信康「自由への長い旅」

 

おしまい