2018.06.18

近所の友だち一家と、夕方まで農作業をして、みなでガレージで晩ご飯を食べてから、近くの川に歩いてホタルを見にゆく。
新月の夜、川のそばの杉林の中を、ホタルがゆらゆら漂っている。
チャイルドトレーラーに乗ったぼくの子どもが、その風景を眺めながら、ぼくに質問をする。

ホタルはどこから来たの?
ー川の中から来たよ。

ホタル、たくさんいるね。
ホタルはどこに帰るの?
ー川の中に帰るんだよ。

2歳になったばかりのぼくの子が、ここ1ヶ月くらいで時間の感覚がかなりはっきり育ってきたのは知っていたけれど、目の前のことだけでなく、過去と未来のことをこういうふうに聞かれたのは初めてだったので、少し驚いた。

里山では、知識や情報ではない大切なことに、お金をかけずに触れる機会がたくさんある。
社会の市場以外の部分が、とても豊かなんです。
子どもも大人も、さらに動物や植物、妖怪や伝説まで、その恵みにあやかって、体験や実感を育みながら、生きている。

今年はトマト、たくさんできるだろうか。
夏の猪が取れたら、お祭りをやろうかな。
きっと脂が乗ってて、美味しいだろうなあ。

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ぼくがホタルを見た川をもう少し下ると、根尾川、という名前になる。さらに下ると、揖斐川、になって、海に注がれると、伊勢湾、という名前になります。

ぼくが大学院を卒業して初めて就いた仕事は、この揖斐川や木曽三川、伊勢湾で、環境調査や環境アセスメントと呼ばれるようなことする、というものだった。
調査設計をして、実際にフィールドに行き、データを取得して、分析・解析して、レポートを出す、というのが一連の流れで、定点観測に近いものから、大規模開発の予備調査みたいなことなど、いろいろなケースがあった。

フィールドといっても、大体は川のど真ん中や海上なので、機材を積んだ船に乗って行く。
1年に80日くらい、船に乗っていたかもしれない。そういう仕事です。
それはそれで、楽しいこともあった。

とはいえ、いくつかのどうしようもなく我慢ができないことや、このままだと自分が許せなくなってしまうと思うことがあったので、結婚して3ヶ月後くらいに、「自分の地域のことを、地域にいる人自身がマネジメントできる社会をつくりたい」という想いだけを携えて、NGOでの2ヶ月間のインターンの予定だけ決まった状態で、仕事を辞めてしまった。

ぼくが疑問を持った問題のうちの一つが、「埋立地」の問題です。
木曽三川は昔から土砂の供給量が多い河川で、特に下流部は洪水が頻発する地域だった。
上空から眺めると、龍が暴れるように、川筋が変わってしまう場所だったという。
今は護岸がつくられており、さらに毎年、川床の土砂を巨大なポンプ・ショベルカー付きの船で除去している。
浚渫(しゅんせつ)といいます。
これは、船舶が通行する港湾でも、ごくあたりまえに行われている。

浚渫で除去した土は、当然、どこかに持っていかなくてはいけないので、基本的には、埋立地を造成するために使われる。
埋立地を作るのは、都道府県だったり市町村だったり、基本的に自治体です。

港湾の浚渫なら、大型船舶が航行・着船できるようになり、運送効率が上がる。港湾としてのレベルが上がるので、輸送量も増える。埋立が終わると、企業誘致ができたり、住宅を建てたりできるようになる。

自治体は税収が上がり、港湾や埋立地を利用する企業は事業効率が上がる。
つまり、埋立地において、自治体と企業はハッピーマリアージュです。
自治体と企業が、お互い「採算が取れる」と判断したら、やる。

海には所有者はいないが、土地になった途端に所有権が発生するのが日本の法律なので、埋立地を作るのは、自治体にとって、自分の土地を増やす「魔法」のようなものです。

土地を増やすことができる魔法が使えたら、あなたは使わないと断言できるだろうか。

おそらく、ほとんどの人が、断言できないだろうと思う。

その魔法に唯一の被害者がいるとすれば、そこに住んでいる生き物なので、
魔法の回数や規模、程度を制御するための[仕組み]を見せかけには作ってあるのだけど、ほとんど機能していない。
一箇所を対象としたアセスメントでは、固着性の生き物は「また生えてくるだろう」、移動性の生き物は「きっと移動するだろう」と判断されてしまい、多くの場合でNGが出せないからです。

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日本の環境アセスの仕組みは米国の国家環境政策法をモデルにして、1997年に作られた。
モデルというか、正確に言えば、超劣化コピーです。
コピーは効率がよいが、思想が伴わず、もしくは賢い人が巧みに利己的に換骨奪胎するので、必然的にコピー元より劣化する、という宿命がある。

思想は【答えのない問いに、答えをつくるためのプロセス】と呼び替えてもいい。
なぜ米国で国家環境政策法が生まれたのか。
それはどのような仕組みで、どのように機能しているのか。
日本においては、どのような課題があり、どのような仕組みであれば機能するのか。
ひとつひとつの課題を真摯に検討して、「日本に環境アセスの仕組みをつくる」というケースにおける思想をつくることを、すべてすっ飛ばしてしまったとしか思えない。
どこかの棚に保管されている、誰にも読まれない議事録に、議論した痕跡は残っている、という人がいるかもしれないが、現実のものとして機能していない以上、どんな意味があるのだろうか。

埋立地を、「独占+外部不経済(遠いステークホルダーへのデメリット)」と捉えると、その対義語にあたる、「共有+遠いステークホルダーへのメリット」を表す言葉は、「共有地」なのかなと思う。
「社会的共通資本」ともいうし、「コモンズ」ともいう。

埋立地は、ものすごいスピードで、見かけ上、賭けのテーブルに着いたプレイヤーすべての合意のもとで作られる。そのテーブルにも着くことができないような、弱められた人が世の中にはたくさんいるのだけれど、テーブルにいる面々は一瞥もせずに、賭けは進行していく。
やがて、小さくか細い声があちこちから聞こえるようになるが、ディーラーに「お客人、このテーブルは、あなたたちの来るところではない。お互い、限られた時間と機会しか持たない身でしょう、自分の人生を楽しむことに、集中するべきです。我々は、我々のゲームに集中したい。どうか、おひきとりください。よい人生を」と、にべもなく黙らされる。

共有地はどのように作るのか、というのは、また今度書きたいと思いますが、ひとつの要素は、目の前のケースにきちんと向き合って、小さい声にも耳を傾けながら、コピーではない何かを現実の社会につくることと、だと思います。