2018.05.10

GWの晴れた日の午後に、庭でパンを焼いて食べたりして遊びました。床貼りDIYのときの杉材が大量に余ってるので、薪代わりになってよい感じです。

庭のイチゴも日に日に赤くなっていくし、田んぼに水が張られたり、耕運機が入ったりするのを見てると、時間や季節がいやがおうにも動いていることや、里山で生き続ける生命の力を実感します。

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山とか、植物とか、動物とか、雲とか、自然(Nature)から生まれたものには、機能や応答、発生の原因、それぞれの関係性や連動はあるが、「目的」はない。

一方で、人間や生き物が、特定の用途を達成するために作ったものや道具には目的があるし、目的を達成できないものよりは、できるものがよい。
火のつかない薪では、誰もパンを焼きたくない。

道具や部品や機能として、人間や、山とか、植物とか、動物とか、雲とかを見た場合には、そこには目的があるように思えるかもしれないけど、それはあくまで一つの側面からの判断にすぎなくて、存在することそのものに対して、世界から求められている理由はない。

人間には、みずからの存在の目的を定める能力はある。
いっぽうで、それはあらかじめ定められたものではないし、たまたま生まれ落ちた先の社会や環境によって強制的に定められるものでもないし、全ての人間がすべからく定めなくてはいけない、ということでもない。

一人の人間としては、本質的には、目的を持とうとする必要はない、とも思うし、目的を持っているかどうかは、一人の人間としての価値に、大きく関わるものでもないとも思います。

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だけども一方で、社会の特定の場面で何かを成し遂げんとする場合は、目的を持つ必要がある。(買い物とか、運動とか、仕事とか)

動物的共同体(例:家族、友人など)から一歩進んだ、社会の特定の場面で何かを成し遂げるために生まれた組織や事業体(例:消防団、NP0、企業など。個人事業主も含む)は、人間社会にとっては道具なので、目的が必要となる。

さらに、組織や事業体には、目的(存在理由)に加えて、ありかた(価値判断)も含んだ、「理念」という概念がある(派生系もいろいろある)。組織が理念を持ったほうがよい理由はいろいろあるが、ぼくが気になっているのは「個人ー組織ー社会」という三者の関係です。

本来は目に見えるはずのない「組織」が、みんなの心の中で結像して、社会的な信頼を得るためには、組織が「このような役割を果たす道具である」ということを定義する必要がある。

しかし組織の定義というのは、目的やビジョンに言葉を入れて、はい終わり、にはならずに、つねに行動と観察によって再定義され続ける。生物学者のユクスキュルは、「目的とは先入観なので、観察すべきは実際の行動と、メカニズムや設計」というようなことを言っていたように、お題目ではない「ありかた」が重要な要素になる。

組織に所属するひとりひとりは、当たり前すぎるほど当たり前だけど、組織の道具ではなくて、目的を持つ必要がない「個人」であり、いっぽうで虚構の存在としての「組織」を体現する存在でもある。特に経営者はその要素が強い。

こういうわけで、「個人ー組織ー社会」という三者の関係の間においても、【組織の理念(目的+ありかた)】と【属する個人のありかた】には、論理的な一貫性があることがとても重要で、そうでなくては、組織がみなの心の中で像を結べずに離散する。

先日参加した「起業の学校」の無料講座で、NPO法人起業支援ネット副代表理事の鈴木直也さんが、この一貫性を「経営者の性格をも従わせうるような理念をつくる」という、ものすごく深い意味を持った言葉で表現された。ぼくは衝撃を受けたと同時に、それまで頭の中だけでぐちゃぐちゃと考えていたことが、ぽんと整理できたような気がして、この文章になりました。

いまは、自分の資質や性質を見極めて、借り物ではない、ほんものの「理念」を作ることが大切なのだ、と思っています。

※2018.05.14追記

起業支援ネット代表理事の久野さんが、本記事の補足をしてくださいました。

【個人の”性格”を凌駕する理念】東海若手起業塾事務局長の小池 達也 (Tatsuya…

久野 美奈子さんの投稿 2018年5月13日(日)